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ジャンヌ・モローのブーツをかき抱いて恍惚死する老人。
昼下がりのエロチックな秘密クラブ。鞭で打つのはまだ早いと怒る変態男。
ゆれる釣鐘の生首。一瞬、カトリーヌ・ドヌーヴの乳首がかゆい。義足と松葉杖と車椅子。
招かれざる客たちの破茶滅茶な饗宴。
飢えて、歩いて、果てしなく。
革命か、テロか?食欲も性欲も永遠に中断される。
ああ、すべては夢かと目覚めたら、それが夢のはじまりだったという、映画そのものが夢うつつの構造になっているかのようだ。
老婆はいかにして若き美女に変身するか。
食事はトイレで......貞操帯は美女のベッドで...... 官能か、本能か。
自由奔放?「自由など幻想にすぎぬ」と映画のなかの人物がせせら笑う。
な、な、な、なんだ、これは。この条理と不条理、この不思議な連続と不連続。
愛だ、狂気だ、美だ、笑いだ、映画だ、ブニュエルだ。
山田宏一
1900年2月22日、スペインのテルエル県カランダに生まれる。マドリード大学時代の学寮生活で画家サルヴァドール・ダリや詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカら若き芸術家と出会う。25年、パリに移住。映画監督を志し、パリの演劇学校に入学。
29年、ダリとの脚本共作で16分の短編映画『アンダルシアの犬』を監督。続いて初の長編映画『黄金時代』(30)を発表。カトリック主義者や極右の激しい攻撃にさらされ、前作以上の醜聞を惹き起こした結果上映禁止に。貧困地域ラス・ウルデスの住民の状況を描いた次作『糧なき土地』(33)も、スペイン政府により上映禁止処分を受ける。
スペイン内戦勃発後はフランス、アメリカ合衆国での親共和国派的プロパガンダ映画製作に協力した後、46年に映画製作者オスカル・ダンシヘールの誘いでメキシコに渡る。ダンシヘール製作の『忘れられた人々』(50)で、一躍世界的に有名なスペイン語圏監督となった。残りの生涯はメキシコで暮らし、この地で20本の映画を監督する。メキシコ映画産業の黄金時代が終わった後は、主にフランスで映画作りに従事。83年7月29日、メキシコ市の病院にて死去。最後の作品は『欲望のあいまいな対象』(77)。